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雨の日の、選ばないという選択

¥780 税込

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著者:砂東塩


 窓の外にはさらさらと雨が降っていた。
 軒先の紫陽花を、ライムグリーンの傘の女性が眺めていた。窓のフレームのなかにもう一人、ひっつめ髪の小柄な女性が現れる。彼女が何かを話しかけ、ライムグリーンの傘が閉じられた。
 星型の、薄っすらと青みを帯びた花ビラがぱらぱらと咲く、鉢植えのガクアジサイ。

 ガリガリと音がしていた。
 私の手はくるくると手元のハンドルを回し、ゆっくりと挽かれていく珈琲豆の、抽出前のある種直接的な香りがあたりを満たしていた。
「ああ、僕、あの紫陽花気に入ってたんですけど、売れてしまうかもしれませんね」
 私の向かいに座るその人は、少し淋しげに窓の外を見ていた。
「さっさと買わないから」
「そうですね。他にもいくつか迷っていて、優柔不断はいけませんね」
 そうですよ、と私が言うと、彼は素直に「はい」と頷いた。手元がふと軽くなる。
「挽けたようですね。じゃあ、お淹れしましょう」
 彼は立ち上がり、脇にあったカセットコンロに火を付けた。
 ステンレス製のコーヒーポットはすぐにシュンシュンと音を立て始める。消えそうなくらいに火を小さくし、彼は私の挽いた珈琲豆をドリッパーに移した。
「実は僕の分も入ってたんです」と悪戯らしい笑みを浮かべる。

 彼と初めて会ったのは春先だった。
 友人の経営するこの花屋によく顔を出していた私は、ある日雨宿りがてらここに寄った。
 引っ越しとともに車を手放し、雨が降るたび、やはり車を持とうかと考えたりする。車があれば服が濡れることもなく、靴も晴れの日と同じもので構わない。傘すら必要ないくらいだ。
 あの日もそんなことを考えながら、バス停に向かう途中で店に駆け込んだ。
 しとしとと降っていた雨が急に風を伴ってはげしくなり、店主の明日菜は慌てて軒先の鉢を避難させていた。その時、見たことのない男性がそれを手伝っていた。
「普段は何箇所かで移動販売をしてるのですが、雨の日はこちらで営業させてもらうことになりました」
 そう言った彼は「旅する珈琲屋 白木理人」というショップカード兼名刺のようなものを私に差し出した。

中央公論新社「5分でとろける恋物語 しっとりビター編」の『恋』の、砂東塩の短編集
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