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寄せ植え

¥500 税込

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サークル:RetroLight
作家:一志

2つの中編と1つの短編を収録。
1.「ラブソング」……複数の名前を持つ青年は、ある少女のクローンをターゲットにした依頼を受ける。クリスマスまで待ってと言った彼女と、青年の奇妙な数日の話。
2.「薄紫の揺籃」……安楽死を認めるラベンダーの街で、審査官の「私」は遠い街からやってきた殺人犯の審査の担当を命ぜられる。
3.「旅人」……かつて戦場が隣り合わせにあった街に、大きな薬籠を背負った青年が滞在した日のこと

中編集(小説)
サイズ:A5 頁数:130


 かちかちかち、と神経質な時計の針の音。そろそろかな。
 意識もぼんやりとしていて、事務所のソファで丸まって眠っていると、ブルースが入ってくるなりため息をついた。僕はやつの小言が面倒だったから、背もたれに顔を押し付ける。わざとらしく背中を上下させて呼吸を繰り返す。でも、ブルースは僕が眠っていようと起きていようと関係なく文句をこぼす。
「頼むから、シャワーを浴びてから眠ってくれないかとなんども言っているんだが」
ブルースは潔癖性なのだろうか、いつもそんなことを言う。僕は眠たそうに顔を上げた。
 古めかしい貴族の書斎でもイメージしているのか、この部屋は茶色ばかりで、何もかもに秩序が敷かれている。本の並び方は作者の名前順、それから題名順、本の高さもきっちり並んでいる。カーテンはきっちり折り目がつき、デスクの新聞は綺麗に四つにたたまなければならない。今日も灰色の空が続いているから、窓は十センチだけ開けることになっている。そんなきっちりとした彼のソファに、僕は似つかわしくないのだ。
「けれど、ここがよく眠れるんだよ」
 櫛も通らない髪に指を通そうとして、僕は手を止める。きっとソファは僕になんか座ってほしくなんかないだろうけれど、彼の仕事場は落ち着く。きっと、人間味というものがないから。無機質なにおいで、僕はぐっすり眠ることができる。
「それは光栄だ。だが、君、そんな泥まみれはやめておくれよ。なぁ、いったいどういうことだ? なんだってそんなボロの服を着ている? 俺が買ってやった服は?」
「あるよ。着ていないだけで」
 穴は空いて裾がほつれているジーンズ、袖口が破れているぺらぺらのコート。それが僕のいつもの格好。ブルースは大通りから少し外れた、小洒落た個人店で買ったというシャツとベストを着ている。
 彼が僕にくれた紺色のウールのコートも、そういうところで買ったやつだ。十二月の寒空の下で僕がこの事務所を出入りすることが、見るに絶えなかったのだという。
「服は着るためにあるんだ、ベンジャミン!」
 ブルースはちょっと尖った声で言った。ここのソファの寝心地は悪くないのだけど、ブルースの金切り声はちっとも子守唄にはなりゃしない。彼は茶色のふちのメガネのはしっこをつまんで持ち上げる。
「知っているよ」
「ならばせめてシャワー室にでも行ってくれ。タオルなら置いてあるから」
「ありがとう」
 あたたかい風呂はありがたい。僕はのっそりと体を起こした。
「それが終わったら配達に。いいか、君は俺の大事なクライアントに会うんだ。それなりに身綺麗にはしておいてくれ。そのボロのコートは脱いでいけよ! 俺のを貸してやるから」
「うん」
 二階のシャワー室に行こうとすると、背後でため息が聞こえた。
 彼は弁護士だ。そこそこ名の知れた、有能な人間らしい。人の面倒ごとを解決するためのお仕事。
 彼は僕のことを、仕事をろくに持っていない穀潰しか何かだと思っている。出会ったのもここ三ヶ月のことで、互いのことを詳しくはあんまり知らない。彼は僕のことを、かわいそうなやつだと、適当な小間使いに出してはなんらかの報酬を提供する。今日の報酬はソファという上質な寝床とシャワー室。それが提供されるのならば、このくらいの使い走りはお安いのだけど、彼は一つだけ大きな誤解をしている。僕は正してやるつもりは決してないけど、僕は穀潰しではない。僕には僕の、仕事を持っている。
 僕の本業は、殺し屋。人の命を扱う、単純な仕事だ。

 仕事が来ないときは、僕はブルースの事務所に押し掛けたり、バーに行ったり、図書館に行ったり、ごく一般的な市民として過ごしている。そう、この灰色の街が望んでいる、『健全な精神と健全な身体は健全な国家のため』の、構成員の一人。
 シャワーを浴びて、彼の仕事部屋に戻ると、ソファの前のローテーブルに、ファイルと綺麗に畳んだトレンチコートが置いてあった。
 ブルースは自分のデスクに書類とノートパソコンを広げて、もう僕のことなんか見えていないようだった。ファイルの上にはメモが添えてあり、そこには彼のクライアントの住所が記されている。僕は黙ってトレンチコートを羽織り、ファイルを片手に事務所を出た。
 息を吐き出すと、白い煙がふわりと舞った。ファイルを脇に挟んで、ポケットに両の手を突っ込んで通りを歩き出す。
 ここは、灰色の街だ。すれ違う人たちもコートの襟を立てて、早足で通り過ぎていく。事務所の隣を通るメインストリートを進み、そこから奥まったところにある住宅街の中に入ると、緑色の屋根の家を見つけた。名前を照らし合わせてからドアベルを鳴らすと、二つ数えたくらいで女の人が顔を覗かせた。プラチナブロンドの髪、見知らぬ男がやってきたことに怪訝そうな顔。それでもって、覚えにくそうな、どこにでもいそうな顔。でもきっと、シャワーを浴びてブルースのトレンチコートを羽織っていることで、少しは彼女の不信感は和らげることはできたのだろうか。
「ブルースの事務所の使いです。ファイルを渡すように言われました」
 僕はファイルを差し出すと、彼女は思い出したかのようにファイルをひったくった。ページをぱらぱらめくってから、何を書いてあるのか知らないけれど、その内容に彼女は心底ほっとしたようだ。「ありがとう。先生によろしく伝えてください」
「はい」
 何をよろしく言えばいいんだろう。頷くだけ頷いて、僕は事務所に戻った。
 メインストリートにまた出ると、道端にパトカーが停まっていた。通行人たちはちらちらと気にした様子を見せていて、降りた警官が野次馬たちを鬱陶しそうに追い払う。パトカーの助手席からも人が出てきて、路地に歩いていく。それを尻目に、僕はブルースの事務所にノックをしないで入った。
「早いな」
「よろしくって言ってたよ」
 僕は言われた通りに、彼に伝えた。
「そうか」
 ブルースは淡々と答えた。窓を見やると、暗くて厚ぼったい雲が積もっている。そろそろこの街にも雪が降るころなのだろう。
「昼食は食べていくか?」
「うん」
 ブルースは顔を上げずに聞いて、僕は返事をした。デリで二人分のサンドウィッチとドーナツを買ってくるのは、僕の役割だ。僕がいないとき、彼は昼食をとっているのだろうか。昼時になってようやく伸びをしてみせるまで、彼は根っこが生えてしまったみたいに椅子にくっついている。僕はコートを脱いで、ソファに座った。昼食まで時間があるから、暇つぶしに新聞を読むことにした。一面には政府が不祥事で個人情報を民間企業に流してしまった、という内容。僕にはよくわからない内容だが、とにかく「一大事」のようだ。
 ソファの上に膝を折りたたんで座り、新聞をばさばさと折って三面記事をめくると、隅っこのほうに市議会議員の殺人事件について記述があった。もう何日か経っているけど、犯人は議員になんらかの恨みを抱いていた人物として捜査を拡大しているという、ありきたりなことしか書いていなかった。半分正解、半分不正解。
 その隣には、サプリメントの広告。カラフルなカプセルには、いろいろな効果がある。わざわざサンドイッチを食べなくても済むもの、顔からシミとか皺とかを出ないようにするもの。きっと、僕のいないときのブルースは、こういったものを飲んでいるのかも。安価で無味の、栄養素の塊。灰色の街が作り出した、技術の結晶。とっても効率的と謳っている。紙をめくる。今週のポッドに入った人たちのリスト。名前の羅列は、この国に認められた人々であることの証拠。僕はその名前を眺める。
 記事を読み終わらないくらいで、呼び鈴が鳴った。ブルースが視線を僕に向けたので、新聞を置いて扉を開けに行った。
「お話をうかがいたいのですが」
 扉の隙間からねじ込まれた警察手帳。さっき、メインストリートに停めていたパトカーの助手席から出てきた警官だ。小柄な女の人で、気が強そうに振舞いたいのか、僕が扉を開くと容赦なく踏み込んだ。今から突入しようとしているくらいの勢いだ。僕は扉にかけていた手を離して、一歩退いた。
「弁護士は奥に」
「えぇ、どうも。あなたは?」
「小間使い」
 彼女は僕をしげしげと眺めると、案内されるのも待たずに、足音を立てて奥の仕事部屋に向かう。開け放たれたままの玄関口をそっと閉めて、僕は後に続いた。
「メリアムと言います。突然申し訳ありません。現在、ある殺人事件について調査をしておりまして」
 ブルースのデスクの前に刑事さんは直立し、ブルースの方もきっちりとネクタイの位置を正して、彼女と握手を交わした。言っているわりに、彼女は申し訳なさそうにしているようには見えない。むしろ、彼女が持っている権力の前では、気難し屋のブルースも協力的になるべきであると言いたげだ。ブルースは眼鏡を押し上げる。いつも不機嫌そうな顔を、今はクライアント向けの、ちょっと口角をあげた笑みを浮かべたものにしている。
「聞き込みでしょうか」
「はい。先日殺害されたジェンキンス議員のことはご存知でしょうか?」
 さっき新聞で読んだ、殺された議員のことだ。
「えぇ、まぁ。テレビで見ました。痛ましい事件です」
「殺害されたのは、ここの隣のメインストリートからすぐの場所です。事件発生時のことは憶えていらっしゃいますか?」
「先週の金曜日でしたよね?」
「はい」
「……そうですね、その日は変わらずこの事務所にいました。後ろにいる彼もです。私は二十時ごろに、この事務所の上にある自室に入りました。事件は確か深夜に起こったと新聞で見ましたが、何か騒ぎを聞いて起きた、ということはなかったと思います」
「なるほど。ジェンキンス氏とあなたは個人的な接触はありましたか? その際に、何か恨みを買われているということは?」
「彼が選挙活動をしている際に握手を交わした程度です。彼のこと自体はよく知りません。あとは新聞やテレビで見聞きした程度で」
「あなたの知り合いで、ジェンキンス氏と関わりがあるという方は。特に弁護士仲間とかで」
「いいえ。私なんて、家庭問題を扱っているだけの弁護士ですから」
「わかりました。またお話を伺うかもしれないので、よろしくお願いします」
「是非とも」
 メリアム警官はくるりと向きを変えて、僕のことを睨みつけてから出て行った。どうしてああも威嚇を振りまいているのだろう。僕は肩を竦め、ブルースを見た。
「政治家なんて、恨みを買われるのが仕事みたいなものだろう」
 彼もまた呆れたような顔をしていた。時計を見やる。彼はまた小さくため息をついた。
「昼食、買ってこようか」
「あぁ」
「なににする」
「いつもので」
 わかったと返事をした僕はコートを再び借りて、いつも行くデリに足を運んだ。
 メインストリートの向こうには、まだパトカーが止まっていて、メリアムたちがあちこちに聞き込みをしていた。その反対方向に歩いて、褪せたオレンジの看板のデリに入った。新聞と雑誌が壁に立てかけられていて、棚にはスナック菓子とボトルに入ったジュースや水、デリのキッチンで作られたクッキーやランチボックスなども置いてある。ここの店長であるおばあちゃんが、カウンター奥に釣り下がっているテレビに体を向けていた。そのすぐ隣の戸棚には、サプリメントがどっさり入った瓶の列ができている。
 僕が入ってきて、同じようにテレビに目を向けると、「物騒ね」とぼやいた。僕はそうだね、と相槌を打った。ずっとニュースが流れている。生きていたときの男が、ワゴンから顔を出して周囲に手を振っている。彼を応援する声があって、映像が切り替わると、今度は誰かと固く握手をしている。そして今度はレストランの映像。夜の背景に、小さなランプが看板を照らしているはずなのだけれど、肝心の文字はぼかしがかけられている。
「いつものでいいんだっけ」
「うん」
 おばあちゃんはカウンターのケースからサンドイッチを出した。
「あのジェンキンスてのは、あんた、どういう議員だったか知っているかい?」
「ううん」
「奴の公約の一つは、この街の全ての人間にポッドとサプリを支給することだった」
「お湯を沸かす方じゃないやつ?」
「あんたはたまに変わったことを言うわねぇ」
 おばあちゃんは丸く見開いた目をぱちくりさせてから、小さく笑った。サンドイッチを紙にくるんでから、コーヒーを淹れてもらう。
「そうかな」
 こんな寒いときに、みんながお湯を沸かせたらきっといいことなんだろうな、と思ったのに。
「まぁ、私たちのときにも、親が死ぬ前に墓の準備なんかもしていたもんだけどね。あんた、墓って知ってるかい」
「うん、知ってる」
 おばあちゃんは、時折自分の若い時の話をしてくれる。まだアンチエイジング・サプリもそれほど浸透していなくて、人は死ぬためにスイート・ポッドなるものに入ることもしていなかった時代のことだ。人は石で作られた墓というものの下で眠るのだ。僕もそれは知っている。みんな黒い服を着て、儀式をするんだ。でも、おばあちゃんは僕なんかよりもずっと物知りだ。
「またその話、してね」
「覚えていたらね」
 コーヒーが二つ揃ったので、僕はお礼を言ってデリを後にする。テレビではコマーシャルが流れていた。一日の間になんども聞く言葉だ。
『あなたの健全な精神と身体のパートナー、ワトール・コーポレーションがお送りしております。』

 メリアムがデリの前をうろついている。やがて、僕のことを見つけると、「さっきの」と声をかけられた。さっきはろくに顔なんか見なかったけれど、彼女の顔はなんだかてかてかしていた。アンチエイジング・サプリのせいだ。そういった人たちは、なんだかてかてかした顔をしている。この街の多くの人がそうだ。だから僕は、この人の顔なんかすぐに忘れるだろう。
「なに?」
 彼女はその顔を僕に向けた。片眉が上がっていて、じろじろと見てくる。
「何度も悪いけど、あなたの名前も一応聞いておこうかと」
「ベンジャミン」
「ありがとう。連絡先は?」
「ブルースと同じ」
 メリアムはメモに僕の名前を書き付けると、そのまま上着のポケットにしまった。
「一つ聞いてもいい?」
 僕は興味本位で尋ねた。
「手短に」
「この前、ホームレスが死んでいたんだ」
 僕はこの間路地で、丸くなったまま倒れていた彼のことを思い浮かべた。
「それが?」
「彼のことはだれも調べないの?」
 刑事さんはきょとんとしていた。そして、ため息まじりに答えた。
「だって、ホームレスでしょう? この時期じゃ凍死しても無理ないわ、かわいそうだけど」
「彼はポッドに眠るの?」
「さぁ。悪いけど、それは私の仕事じゃないから」
 メリアムはそんなことか、と言いたげにパトカーに踵を返した。
 命なんて、こんなものだ。僕はお腹が空いたし、コーヒーが冷める前に戻らなくてはいけない。冬に飲む冷えたコーヒーは、なんだか置いていきぼりにされたような気分にさせられるんだ。

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